JR各社が線区ごとの収支を発表し、利用者が少ない線区の維持に議論が沸き上がっています。最近は、自然災害で大きな被害を受けると長期休止、そしてそのまま廃止されるであろう事例が相次いでいます。大幹線はともかく、ローカル線は合理化により線路管理が災害に脆弱になっていて被害を受けやすいようです。被害が大きいと復旧は公的支援が必須となるのですが、税金を投入してまで、あまり客も乗らない線路を維持する必要があるのか、という主張が目立つようになってきました。
かつての国鉄では、旅客と貨物の輸送を行っていため地域に絶対必要な装置でしたが、貨物輸送は民営化前後に廃止され、残る旅客はマイカーに移行してしまい交通機関としての存在意義が消失しかかっています。
北海道では利用者数が少ない路線や、新幹線と引き換えに地元に運営が移管される在来線が廃止されることもほぼ決まりました。地域交通に責任を求められる地方自治体ですが、道が市町村を突き放したため、市町村もカネのかかる鉄道と付き合いきれない、となっているようです。その路線が貨物の大動脈であっても、貨物列車が通過するだけではその市町村に何の便益をもたらすものではありません。
地域公共交通活性化法などは、地元自治体の役割を重要視しています。すなわち、まず自治体が交通を維持したいのかが問われ、さらに維持、活性化に必要な財源もある程度は国が補助するものの残りは自治体で工面しなければならず、財政力がない自治体はとても対応できません。鉄道など見限って負担の少ないバスや契約タクシーにしてしまえ、と傾斜してしまうのですが、そのバスすら維持が困難なところも出てきています。
北海道のローカル線の話にとどまらず、比較的人口が張り付く都会地でも鉄軌道やバスの不採算路線で同様の現象が多く出てきて、減便や路線廃止が進んでいます。日本では大都会でもマイカーはほぼ制限なく使えます。それでも公共交通に利用者があるのは、勤務先の駐車場不足などで、車通勤に制限がかかるからに過ぎません。地方の工業団地のように十分な駐車場が用意されればほぼ全数マイカー利用に移行するのではないでしょうか。在宅勤務がさらに普及し通勤移動が少なくなると、そう広くない駐車場や道路容量でも十分に間に合うようになり、ますますマイカー利用に流れるでしょう。帰宅時途中で一杯呑めないくらいの不便しかないのです。
現在の日本、クルマを持つのに経済的な足かせがある人は少なく、年齢的に免許が取れない、身体的な理由で運転が困難な人を除けば、ほぼ全員、車があれば十分と感じるでしょう。学生は米国のようにスクールバスを運行すれば解決し、公共交通は出る幕はありません。
利用減、サービスもカット、存在価値縮小の悪循環で赤字の公共交通は縮小、廃止の道をたどり、それでも社会的にどうしても必要であるならば、投入する税金、要するに国民の負担は、1円でも少なくしたいのでバスやデマンドタクシーで、最終的にはライドシェアでいいや、というコンセンサスになりがちです。しかし、果たして、そのような社会は人間にとって合理的なものか、それでよいのかよく考えなければなりません。
高度成長時代は闇雲にスクラップ・アンド・ビルドが奨励されましたが、そういう時代は終わっています。特にすでにある交通インフラは、国民の財産という考えのもとに、時代にあったリニューアルをして便利に使えるよう、法制度も整備しながら社会全体で育てていくという考えが必要だと思います。