自転車の規制強化を書いていて思い出したことがあります。
阪堺電車が通る大道筋は戦災復興道路として50m幅を誇ります。歩道も東側西側とも幅が広くとられています。現在の大道筋は昭和30年代前半に供用開始され、復興事業としての完了は1960(昭和35)年度でした。最初は歩道と歩道に近い車線は未舗装でしたが、昭和30年代後半にはこの部分も舗装された。舗装されて間もなく、多分1964(昭和39)年の東京オリンピック頃だったと思いますが市役所から大道筋沿道の地元に、「大道筋に自転車道を作る、日本で初めてのものだ」と説明がありました。
自転車道など聞いたことなかったのでどんなもんか、と興味津々でいたら、歩道のほぼ真ん中にセンターラインみたいな白線が引かれただけで、白線より車道側が件の自転車道だとのことでした。自転車道とはこれか、と拍子抜けがっかりしたのを覚えています。当時は(今もですが)自転車、歩行者とも白線の意味など気にすることなく通行していました。
【写真左】 60年前の姿をとどめる白線 【写真右】 パイプ柵。以前は柵の間に植栽があったが枯れたらそれっきり
その内自動車が増え、広い歩道は自動車の駐車場と化し、場所によってはびっしりと駐車する自動車が占領する事態となりました。さすがにまずいとなり、自動車の侵入抑止のためとコンクリートブロックを白線部に設置しましたが、自動車に踏みつけられ数年後には接着が壊されてしまいました。その後、今も一部に残るスチールパイプの柵が設置されました。この頃には歩道の半分が自転車道とはだれも思わなくなっていました。柵の向こうは自動車の駐車場位に思われていたと思います。
その後、歩道への自動車の侵入抑止のため逆U字型の車止めが設置されたりしましたが、コインパーキングが増えたのと駐禁の取り締まりが強化されたため歩道上の違法駐車はほぼ姿を消しました。
花田口から南側は、電線地中化にあわせ舗装が煉瓦やブロックとなり、歩道の車道側や中央部に花壇を設けたり街路樹を植栽したり美装化して現在に至っています。ただ街路樹は枯死や台風で倒木の後も復旧がされていないのはみすぼらしい感がします。
【写真左】歩道上駐車を防ぐガード 【写真中央】歩道中央部に街路樹 【写真右】歩行者と自転車の通行帯区分の表示
御陵前付近の東側には歩行者レーンと自転車レーンの区分を示す標識のようなものが設けられていたり、その他の区間でも自転車の絵がほとんど消えかかって残っていたりするので道路管理者としては自転車レーンという認識は今もあるようです。これに対し綾ノ町付近東側は中央の白線がかすれながらもとぎれとぎれにあってここは60年前と同じです。大道筋南北2kmあまり、歩道の構造はテンでバラバラ、もう少し統一的にできないのかと思います。
それはともかく、歩道を使った自転車レーンは現行法では「自転車道」ではないそうですが自転車通行帯(レーン)としてはほぼ本邦最初に近いものと思われます。しかしこの話を市役所のある当局者に聞いてもそんな話は知らない、記録も見たことはないとのこと。堺市あるあるで、当時意気込んでやってみたものの、白線を引いただけの「自転車道」に、有力者(例えば古手の議員など)がきつい苦言を呈し、それに忖度してひっこめてしまったのかなと邪推してしまいます。





