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南海フェリー 事業撤退へ

南海は、和歌山と徳島を結ぶフェリー事業から撤退すると発表しました。南海四国ラインこと四国航路は、1955年の南海開通70周年の記念事業として難波の南海会館、みさき公園とともに位置づけられ、19565月に運行開始しました。四国に進出を企てる南海の経営戦略の要のひとつでした。

  

四国航路に投入された新造船の南海丸が就航後2年もたたない1958年1月に遭難沈没し、多数の犠牲者を出しました。この事故により、南海の全ての経営戦略が狂い、本業の鉄軌道への投資も大幅に絞り込まれました。社内の士気に影響が及び、その後の連続大事故につながっていったと思います。特に軌道線では501形の増備中止など割を食うこととなり、さらにはお荷物と言われ始めたのものこの頃です。

フェリーあい (南海フェリーHPより
フェリーあい (南海フェリーHPより)

南海四国ラインは、最初につまずいたもののその後は順調で、大阪から徳島へは絶対的、高知まででもかなりのシェアがありました。ところが1985年の国鉄小松島港線の廃止でそれまでシームレスだった四国側の鉄道連絡が絶たれました。

その後就航地を小松島から徳島へ変更し利便性向上に努めましたが、1998年明石大橋架橋後は大阪・徳島間の移動はほぼ全面的に陸路本四橋経由となり、旅客はバス利用が主流となりました。和歌山・徳島間の需要は規模が小さく、大型フェリー航路を維持するのは厳しい状況でした。耐用年数が迫っている外航用大型船の更新がかなわず、残念ながら撤退決定となりました。国鉄連絡線なき後、唯一の鉄道連絡船の姿をとどめるものでした。

 

支援要請を受けた行政もコミバスを運営するのとケタが違いすぎ支援の手が出せないようです。

 

フェリーとは別次元ですが、たびたび紀淡トンネルあるいは架橋の噂もありましたが、和歌山・徳島圏の経済規模から考えて第2国土軸には程遠く夢物語に終わりそうです。

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