天下茶屋は西成ではなかった

阪堺線北天下茶屋
阪堺線北天下茶屋 実は本当の天下茶屋

 南海電車と阪堺電車には天下茶屋を名乗る駅が4つあります。西から西天下茶屋(高野線)、天下茶屋(南海線)、北天下茶屋(阪堺線)、東天下茶屋(上町線)です。

南海天下茶屋駅が総本家みたいに思われていて、西成区役所にも近く西成区の表玄関のようになっています。

 

天下茶屋の由来は天下人が住吉参りの途中に茶を味わったという故事によっているそうですが、住吉街道とも呼ばれた紀州街道に面した集落が元祖です。一番近い駅は阪堺線の北天下茶屋となります。天下茶屋の集落は、紀州街道に沿って阪堺線の停留場でいうと北天下茶屋から天神ノ森付近まで南北に長く、その集落の北の端の停留場なので北天下茶屋となったようです。

この紀州街道沿いの天下茶屋は、江戸時代18世紀末以来、天王寺村の字の一つとなっていて西成ではなく東成郡でした。そのため1925(大正14)年に大阪市に編入された時は住吉区(「大」住吉区:現在の阿倍野区、住吉区、東住吉区、平野区の一部)に属していましたが1943(昭和18)年に大阪市の区制で分区や境界の調整がされた時、上町台地の西側の地区が西成区に編入されました。

 

南海線の天下茶屋駅は1885(明治18)年の開通当時からの駅で、今宮町の南端に位置していました。一番近い集落が天下茶屋だったためそれを名乗りました。高野線西天下茶屋駅は1915(大正4)年開業ですが当時は玉出町と今宮町の境界で近くにランドマークらしきものがないため天下茶屋の西となったようです。天下茶屋も西天下茶屋も西成郡でした。

 

では上町線の東天下茶屋はといえば、馬車鉄道時代からの駅で、そこは旧阿部野村(馬車鉄道開通時は天王寺村大字阿部野)の中心でした。1897(明治30)年大阪市の第1次市域拡大で天王寺村の北半分が大阪市に編入されたのちは天王寺村役場が、1925(大正14)年第2次市域拡大後の「大」住吉区の区役所がありました。

ここから西へ少し行くと鯨池を中心に天下茶屋遊園と称する景勝地があり、周辺は散策に人気がありました。馬車鉄道は当初計画では、東天下茶屋から西へ折れ遊園地をかすめて聖天坂を下って天下茶屋へ線路を伸ばすつもりでした。

 

当時は天下茶屋の東側、聖天山の東までも天下茶屋と言われていたようです。その東側の停留場ですから馬車鉄道時代の東天下茶屋を踏襲して今も東天下茶屋を名乗っています。なお、現在の西成区の住居表示である天下茶屋東とは無関係です。

天下茶屋跡の碑 天神ノ森停留場の近くにある

天下茶屋遊園地跡のパネル
天下茶屋遊園地跡のパネル  晴明丘小学校前にある

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