わが国は、’一応’裕福な国となっています。明治以降欧米に追い付き追い越せとがむしゃらに走ってきた結果です。その間、たびたびの戦争を挟んでいてよくも悪しくも日本人の社会と生活を変えてきました。
第1次世界大戦以降、公共交通を使って働きに行くのが一般化し、乗りものが混雑するようになりました。国は富みましたが、民生部門のインフラが必ずしも追いついていないという状況が顕在化します。都市内の電車は常に満員です。交通提供者は、お上、監督官庁の 鉄道省や内務省の虎の威を借り常に上から目線で「乗せてやる」、国民は「乗せていただく」でした。
社会情勢が厳しくなると、国民は耐え忍ぶべしと、当然のようにサービスが切り捨てられました。軍事輸送、貨物輸送優先で列車減便、寝台車や1等車といったサービスの取止め、市内電車では乗り換え制の廃止、停留場の間引きなど、当然混雑は激化しますが非常時だから我慢、乗れてよかったという時代に突入します。
ようやく戦争が終わっても物資不足で車両の保守が追い付かないところに利用者が激増し、より多くの人を運ぶためにさらに状況は悪化、定員の2倍・3倍ギュウギュウに詰め込んで運ぶのは当たり前でした。戦後の混乱も落ち着き、高度成長期に入ると経済は右肩上がりとなりました。その結果都市部に人口と労働市場が集中し、通勤が長距離化し通勤通学列車やバスは定員の2倍3倍が常態化します。通勤地獄ともいわれ電車・バス利用は苦痛以外何ものでもありませんでした。しかしほかに選択肢がない利用者はひたすら耐えるほかありませんでした。
私たちの生活がさらに豊かになり、決定的な選択肢が出現します。道路整備とともにマイカーの時代が到来したのです。雪崩のように公共交通離れが起こりました。これまで不愉快な移動をガマンしてきた、バスや列車の時刻に生活が左右されてきた不便さから一気に解放されたのです。
少々渋滞があっても、駐車場探しに苦労しても、たまにネズミ捕りに引っかかっても電車やバスに乗るよりよりずっと快適だ、となったのです。人の生活に必要なものは衣食住ともうひとつ「交」といわれますが、人々の意識として衣食住交の交は鉄道やバスではなく速攻でマイカーとなりました。
交通事業者や行政は利用者がひどい状況におかれていても、かつての「地獄」時代が頭にありお客は我慢するだろう、あるいは我慢するのが当然で、事業者の収支確保上それが望ましい姿なんだと歓迎すらした感があります。特に通学輸送は廉価な通学定期の利用者のために輸送改善する必要はないと言い切るところもありました。
結果、公共交通離れが加速し、自動車を受け入れに物理的限度がある大都市部を除き、公共交通利用は免許を持てない高校生や一部障碍者と高齢者くらいになりました。さらに高校生は運賃が高く不便なバス利用を止め自転車にシフトしています。大都市での周辺部でも同様です。公共交通利用者の逆襲かもしれません。
しかしこれらは運賃だけで経営を支えるという日本的常識では公共交通を持続できなくなってきたことを示しています。かつて日本は欧米と異なり、公共交通が営利事業として成立する珍しい国だといわれていました。ところが交通事業で経営を維持するのは困難になってきました。住宅開発や百貨店など関連事業で交通事業を支えられるうちはよかったのですがそれも厳しくなり、正に今、公共交通の縮減、崩壊、消滅に進んでいます。持ちこたえている事業者も、利便性向上への投資は控えられ、特別料金を出さずとも快適に利用できるようなサービスは切り捨てられたままで、さらなる乗客離れを促しているようです。
この悪循環をだれがどう止めるのでしょうか。あるいは交通は「自助」だ、と顔を片付けてしまうのでしょうか。
高度成長期の通勤風景
ラッシュアワーのみならず、行楽や帰省など人々が利用する機会が多い時期は似たりよったりだった。これが当たり前の時代、黙っていても客が乗りに来る時代はとっくに過ぎ去っている。


