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オイルショック再来か

アメリカとイスラエルがイランを攻撃し、これに対しイランは原油輸送の生命線のホルムズ海峡を事実上封鎖しました。石油や天然ガスを中東からの輸入に頼る日本は数か月後には国内石油が枯渇する恐れが出てきました。

 

60歳以上の人は、ほぼ半世紀前の「オイルショック」を思い出す人も多いでしょう。オイルショックは19731月から197710月まで(4)中東戦争により石油の輸入がストップ、これが第1次のオイルショック。さらに19791月から19833月までイラン革命によりまた石油の輸入が途絶え第2次オイルショックと言われています。日本国内ではガソリンなど石油製品が大幅に値上がりし、しかも品不足となりました。トイレットペーバーをはじめ様々な日常品が入手難となり狂乱物価といわれた激しいインフレが国民生活を襲い大混乱になりました。1974年正月はガソリンスタンドが一斉休業し、市中の道路から車が消えました。物価は上がっても給料はなかなか上がらず、悪夢のような日々でした。

第1次オイルショック 1976年夏の阿倍野筋。
第1次オイルショック 1976年夏の阿倍野筋。車が少ない。

現在、まさに第3次のオイルショックが襲いかかりそうな気配です。輸入ストップとなる可能性が高い石油や天然ガスに今の私たちの生活はさらに大きく依存しています。

 

50年前に世界を襲ったオイルショックは、直面する課題解決のため、それまでの常識、価値観を大きく変えました。日本では動きは鈍かったのですが、先進諸外国では石油依存が見直され自動車の使用を制限する明確な方向性が示され、石油消費節減だけではなく、化石燃料依存を縮減する環境配慮・重視の端緒となりました。

一つの画期的な出来事として、マイカーから公共交通へのキーワードで、日本以上に車社会だった北米、カナダのエドモントンで1978年に都市交通として電車が復活しました。当時の時代背景から道路上を走る区間はあまりなくストリートカーというよりインターアーバンの一部区間の復活(アメリカのインターアーバンは、都心部では道路上を走るのが定番でした)に近いものですが、世界の路面電車復活第1号に位置付けられています。近代的な視点で建設された路面電車は「LRT」と名付けられ、その後の欧米の路面電車復活の引き金となりました。オイルショック後の約50年間で、実に210都市以上で路面電車、LRTが復活あるいは新設されたのです(日本は富山と宇都宮だけ。)

 

 

目前に迫る第3次のオイルショックでどのような価値観の変革が生じるのでしょうか。人の公共交通復帰?貨物はモーダルシフト?だけど何も起こらなかった? 注視していきたいと思います。

1978年に開通したカナダエドモントンの電車
1978年に開通したカナダエドモントンの電車。郊外のバスとの乗換駅。

1978年に開通したカナダエドモントンの電車。郊外のバスとの乗換駅。車両は日本の路面電車のイメージとは大いに異なるものであるが、実はこちらのほうが世界標準に近い。

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