JRがコロナによる利用者減少により線区ごとの利用者数や営業係数を公表したことを契機に、公共交通の維持についての議論が高まっているようだ。テレビのワイドショーなどでも扱われ”維持するに越したことはない”と話は進んでも、そのために公金を投入すべきかどうかとなると急にトーンダウンしてしまう。
先日、朝の人気ワイドショーで関西大学の宇都宮教授が出演され、交通に財政も含め公的関与がもっと必要と訴えておられたが、番組コメンテーターとの議論はすれ違いのままだった。
特にバスより多くの費用を要する鉄軌道については、そこまでして鉄軌道を残すことはないだろうと落ち着いてしまう傾向が強くなってきたようだ。国鉄時代は旅客以外に貨物も荷物も運び、ローカル線でもその地域にとって存在意義があったが、それははるか昔の話。旅客輸送だけが目的の鉄軌道で、肝心の乗客が皆自動車しようとなると存在意味が無くなってしまい、負担を求められるなら、勢いいらないとなる。
国は地域の交通は、地域(地方自治体)に任せるとの姿勢をとっているが、地方自治体は道府県、市町村とも、財源もとぼしく地方自治法上にも地方の事務となっていない公共交通について口は出しても財政負担に関与させられたくないというのが本音。金のかからないよう最低限のコミュニティバスとデマンドタクシーが用意できれば上等かもしれない。
北海道の長万部-新函館北斗間の函館本線のように、貨物輸送では全国流通ネット上重要だとしても、新幹線開通後、旅客はからっけしとなってしまう区間は、地元にとっては全くメリットがなく、当然の帰結として廃止してください、となる。
国土強靭化が政策となっているが、鉄道がネットワーク機能を失っても国としていいのだろうか。ウクライナを見ていても守る側も攻める側も鉄道が重要な役割を果たしているのが見て取れるが、日本は高速道路と海路、そして貨物は運べない新幹線だけでいいのだろうか。 (の)